
展開
1章 一枚のレポートが僕の人生を変えてしまった
デスクの電話が鳴った。役員からだった。
「すぐに役員室に来て欲しい」
胸騒ぎを感じながらエレベーターのボタンを押す。
「何事もないように」と心の中で呟く。
こんな時、僕は最悪の事態を自分に言い聞かせるようにしている。
嫌な想いをしないように祈る。
10 分の時が永遠を刻むように永く感じる。 高鳴る胸を押さえながら役員室のドアを叩いた。 役員の笑顔をみて僕は一安心する。 「まあ、座りたまえ」優しい一言が僕を包んだ。 「インターネットの普及によって世界は激変する」 「それに対する君の意見が聞きたい」という主旨だった。 先日インターネットによる世の中の変化を記した
A4 1枚のレポートを会社の上司に提出していた。 2時間程僕は機関銃のように言葉を投げかけた。 話終えた後に役員が僕に言った。
「君は天才かもしれない」 「経営層に理解出来る様に10枚のレポートにまとめて欲しい。期間は1ヶ月」 そんな嵐のような時が過ぎ僕は流行る気持ちを押さえながら役員室を後にした。 胸に高鳴りを感じながら…
1994 年 4 月1日 日本にインターネットが普及し始めたある日だった。 青空が綺麗な日だった。
それから僕は18時で通常の業務を終え会議室に人知れず鍵をかけ籠ることになる。
1番目のデスクではインターネットを眺め、2番目のデスクではアイディアのスケッチ、
3番目のデスクではテキストのワープロ、4番目のでデスクではチャート設計。
ワクワク感に胸を躍らせながら時間がすぎてゆく。
「とても楽しい」僕はネットワークハイ、クリエィティブハイだった。
そんな大切な時が過ぎてゆく。僕の脳内はスィッチが入りまくりだった。
午前 0 時、1秒が永遠の時を刻み出す。休む間も無く夜が明ける。 「もう、帰らなくっちゃ」午前5時に会社を後にする。 この日から僕は1時間歩いて帰宅することになる。 考えを整理するため歩く事を必要としていた。 僕は全く疲れてなかった。恐ろしい錯覚が僕を包んでいた。 10分のシャワーと 1 時間の睡眠をとり朝食を食べる。 スーツに着替え午前8時には家を後にした。 そして僕は約束の1ヶ月の日を迎えることになる。 10枚のレポートを携えて役員室のドアを叩いた。 それから1ヶ月後のある日。 デスクの電話が鳴った。役員からだった。直ぐに役員室に来て欲しいとのこと。 僕は高鳴る胸を押さえながら、ドアを叩いた。 僕のレポートを元に新しい部署をつくるということだった。 ついては、その部署に移動して欲しいということだった。 私は「チャンスが来たと思った」
兼ねてより考えていたことがあった。
このレポートをイタリアの大学院で研究したいと想った。
役員にイタリアの大学院受験の許可を頂く。
私はまた眠れない日々をすごすことになる。
そしてイタリア大学院の入学許可を取得してその合格レポートを役員に提出した。
僕は完全に舞い上がっていた。
イタリアに留学することで頭がいっぱいだった。
そんな時私は何を血迷ったか会社の新しい辞令を蹴りイタリアに留学させてもらうことに
注力した。会社はそんな勝手なことは許可しなかった。
2章 窓際族
それから、私は過労で体調を崩し3ヶ月の入院生活を送ることになる。 絵を描いたり、折り紙を折ったり、ギターを弾いたり、4歳になる子供と遊んだり。 内心の焦りを掻き消すように、創作活動に励んでいた。
90 日の入院生活を終え会社に復帰することになった。 期待に胸を躍らせながら出社前日を迎えていた。
眠れない夜を過ごしながら。
出社 1 日目私は周りから「奇異な目」で見られていた。 誰も私に話しかけようとはしなかった。 本部長は私に仕事を与えず仕事慣らしという理由で 1 日 4 時間しか働かせてくれなかった。 仕事の内容も他のスタッフのお手伝い的なものだった。仕事好きの私は焦った。 会社は私の事をお荷物として窓際族に追いやった。 毎日、新聞を読み、インターネットを眺める日々が続いた。 定時に帰宅する事を強要させられ私は地獄の日々を送ることになる。 家ではマイホームパパになった。家事の手伝いをした。 深夜書斎で新しい事業構想を練った。
毎日深夜 3 時になると
「誰も待ってないよ」
と天の声が聞こえる
そして、寝るのが日課になった。
会社のセンター長にレポートを提出する。 一応受けとってくれるが1週間後はシュレッダーにかけられるのを発見した。
大学時代の仲間でライフワークとしてデザインの視座を目的としたメーリングリストで意
見交換を行う。
成果品としてメールマガジンを発行する。
そんな事をして気を紛らわしていた。
私は無気になっていた。
なんとしても一線に復帰してみせると執念的な想いでいっぱいだった。
私は焦っていた。転職を考えた。
3社程受けるが合格しない。
4社目に大手の企業の経営陣の最終面接までいくが不採用になる。
転職も諦め今の会社での生き残りをかけ新聞の切り抜きを集めた社内新聞を提案し
自分の仕事をつくる。
毎日が必死だったが3年で廃止になる。
ついに会社でやることがなくなり、私はクリーンオフィス(社内清掃)を言い渡される。
屈辱の日々が6ヶ月続いたある日、センター長に会議室に呼ばれる。
嫌な予感が全身を流れ最悪の事態を予想し会議室に向かう。
「全社グループの中に君の居場所はない」と言い渡された。
終わったと感じた。絶望感いっぱいで会社を後にした。
帰宅途中、私は家族に申し訳ない気持ちでいっぱいで涙が溢れて来た。
事務的な退職手続きが始まる。組合が動いてくれ超法規的措置で会社を退職する。
3章 活路
そして再就職活動を始める。
地元故郷福岡に帰り職を探す日々が始まった。41歳の時だった。
大企業の実績に再就職支援会社のコンサルは私の経歴を高評価する。大袈裟な職務経歴書
が上がる。
その書類を持って会社の面接を受ける。 中堅の企業を探す。いきなりの社長面接。企業を不採用の連続の日々が続く。 1年後小さなデザイン事務所が拾ってくれる。 チーフプロデューサーの肩書で20人のデザイナーのスタッフを抱える。 会長、社長の直属になる。 その当時景気の良い大手企業のクライアントのコンペティションの担当になる。 大手広告代理店の競合で3ヶ月で 7 連敗をする。 精神的に追い詰められその事務所を辞める。 優しい会長さんと社長さんに引き止められるが自信喪失していた。
1ヶ月後中堅の広告代理店に就職が決まる。
ここでも社長さんと専務から期待される。
企画部門の中核の役割を任される。
しかし、なかなか成果を出せずに専務の片腕とトラブルを起こし
3ヶ月の試用期間で首になる。
直ぐに IT のベンチャー企業に就職が決まるが3ヶ月で倒産してしまう。
4章 死刑台の階段
気力も尽き果て再就職活動を辞めてしまう。
毎日寝て過ごす日々を送る。
そんなある日
「もう限界でしょ」
と天の声が聞こえた。
その一言で私はとどめを刺される想いがした。
それから毎日が死刑台の階段を登る日々が始まる。
これは現実でないと自分に言い聞かせてみる。
ある日の出来事。
家族が私から離れていくオーラを感じた。
この瞬間。全てが現実となる。
絶望的な感情が押し寄せ「全てが終わった」と感じる。
私は体一つで愛する家を後にした。
5章 新たな生活を求めて
一人の新しい生活が始まる。
日雇い土方、精密機器の部品作り、コールセンターで生計を立てる。
しかし不慣れなため全て首になる。
行き場を失った私はドロップアウトする。 TV だけが虚しく流れる日々。 末期的な日々を送りながら。 ついに生活費が無くなる。
これではいけないと想い立ち
Google でスキーリゾートのアルバイトを探す。 調べていると興味深いキーワードを発見した。
「居候求む」の案内を見つけた。 早々に電話すると「履歴書を送ってください」と事。 速達で送る。翌日電話があり直ぐに来れますかとの事。 翌日の新幹線と電車で北アルプスのスキーリゾートに向かった。 午後9時に到着。社長さんが迎えに来ていた。 車窓からみる雪景色がとても綺麗だった。 ホテルに到着。暖かいポークソテーをご馳走になる。それから温泉。 全てが有り難かった。
翌日、レストランでお皿を並べレタスを盛る。 あまりもの遅さと稚拙さで、もういいですと言われる。 次にレストランの給仕をやらされる。お皿を 1 枚落とし割りもういいですと言われる。 今日は、もういいですからと部屋で休むように言われる。 私は不安な気持ちでいっぱいになりパニック状態になった。 また明日が見えなくなっていく。